JA1ACB難波田了さんをご存知だろうか?
かつてCQ誌やHAMジャーナルを愛読されていた方や、、あるいはRTTYの世界をのぞいた方なら、あ、あの理論派かつ実践に長けた大OMだ、と思い出すはずだ。
そのJA1ACB難波田さんがホームページに登場いただけるという。しかも、興味深い技術的な話題を提供してもらえるというのだ。
難波田さんは、経営されていた会社を勇退され,悠々自適。さまざまな電子技術追求への興味は衰えず、日々おもしろいアイデアが浮かんでいらっしゃるようだ。
かつて、歯に衣着せぬ論調で、技術論を展開されていた恐いイメージとは裏腹に、実際には、ジョークのお好きな、根っからのアマ無線家でもある。
SSBの黎明期に自作で活躍され、コリンズ研究家でもあることは有名だし、。
電波の質へのこだわりと技術力は、アマチュアの域を超えている。RTTY
の草分けでもあり、実践でも大活躍されていたことはいまさらいうまでもないだろう。
私事だが、およそ30年前、友人JH1ISFの仕事のつながりで、なんどもシャックにお邪魔したことがある。ズラリ並んだコリンズや軍用機、測定器、自作の無線機に圧倒された。
CQ誌の記事から類推して、難しい親父だとイメージしていたが、江戸っ子気質で、口は悪いがとても優しい兄貴だった。当時は、僕には夢のようなハイパワー機の前で、「パーちゃん、電信できるからここでCQ出してごらんよ、Wが束になって呼んでくるから」(JR1CFPだったから、パーちゃんと呼ばれていた)と言われ、3.5メガで和文なんぞで遊んでいた僕は、目を白黒させたことを、昨日のように思い出す。
クルマ好きだった僕は、難波田さんが、当時最も速いといわれたファミリアのロータリー・エンジン搭載クーペのオーナーであることにも、いたく興味を抱いていた。ある日、横田の米軍基地近くのジャンク屋にRTTYのマシンを取りに行くお手伝いをした。そして、ついに憧れのロータリー・クーペのハンドルを握るチャンスを貰った。
「何だ、パーちゃん、運転うまいじゃないか」と.お墨付きを貰った僕は、その後、何回も、大事なロータリー・クーペのハンドルをまかせられた。
ずいぶんと長い前口上になってしまったが、そんな難波田さんが、最近JF1IST藤原さんの密かな、テクニカル・アドバイザーでもあると言う。ウーン、うらやましい。あの、アイデアマンの難波田さんから、いろんなことを学びたい。なんて勝手なお願いが、藤原さんと、JG1XLV荒井さんの尽力で実現しました。それがこのホームページなのです。
JR1CFP
2003年11月
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