JG1XLVの部屋
中学から高校時代(1970年前半)

SWL;ついに宝物を手に入れたゾ!



家庭用2バンド短波ラジオでのBCLを楽しんでいましたがAM専用ラジオでした。
3.5メガや7メガのSSBのモガモガは聞こえましたが、復調することは
出来ません。ハムのSSBの電波が聞きたくて聞きたくて仕方のない頃でした。


当時は八重洲やTRIO(トリオ:現在のKENWOODの名称)から送信機・受信機の
セットやトランシーバー各種が発売されていましたが、
中学生の私にはとても高価なりグでした。

やっとの思いで手に入れたのが八重洲無線のFR−50Bという受信機です。
これがわたしのSWL/ハムとしての初めてのリグとなりました。

ご注意:下記4枚の写真は、他のサイトからの転用させていただきました


YAESU FR-50B Reciever



SWL時代の宝物。
FR-50Bのフロントパネルの様子。
プリミックスタイプのオールバンド受信機で
価格は\29,800円。
真空管とトランジスタのハイブリッド型。

家庭用短波ラジオとはまったく比較にならない
ほどFBにSSBが受信できました。

JA1-18256の誕生です。
FR−50Bの内部の様子。

ダブルギアのメインダイヤルで1KHz直読。
(今であれば当たり前ですが、、、)
可変BFO、AGC切替。455KHzフィルターは
SSBのみで国際メカフィル(IFTタイプの簡易型)


フロントパネルの裏側の様子。

VFO部分が見える。



FR-50Bにはペアとなる送信機:FL−50B
もあり、SSB入門機として位置付け
されてました。






このFR−50Bで時間の許す限り(あまり勉強もせず?)14メガや21メガの
海外からの電波やローカルのOMさんたちのQSOを聞いていました。

夜になると7メガや3.5メガも聞きました。ギアダイヤルのお陰で
ほんとにチューニングはラクになりました。安定度は今思えば
それなりでしたが、それにしてもアンテナ端子につけた電線から入ってくる
さまざまな電波は私を無線のとりこにしました。学校から帰り、部屋に入るなり
スイッチを入れ、深夜寝るまでの間(あるいは朝まで)ずっと真空管は
赤く灯っていたものでした。


冬の14メガSSBでエコーを伴って入感するアメリカ・イーストコースとからの電波。
W2ONV BILL,W1SEB JAY,,,,,。これらの局と楽しげにラグチューする
JA局。
”いつかは自分もこうなるゾ”とこころに誓いながら、憧れの気持ちで毎朝、毎朝
ロングパスの信号に聞き入ってました。

当時のアンテナは10メートルくらいのロングワイヤー。
簡単な設備ではありましたが、電波に対する興味、DXへの憧れを
強烈に刻み込むには十分過ぎるほどでした。

(同じく八重洲FR−DX400受信機は遙かなたあこがれの受信機でした)


このFR−50Bで聞いた数々のDX。先輩たちのQSO。
英語、かっこいいオペレーティング・テクニック、バンド・コンディション、
コンテスト、多くのDXぺディション、、、、、、そのどれもが私のアマチュア無線における
こだわりや楽しみ方の原点になっているような気がします。







現在は勿論、FR−50Bは使用しておらず、車庫の奥で眠っています。
ただし、この受信機を通して得た無線・DXの感動は今でも鮮明に残っています。
今はジャンクになってしまったFR−50Bは別の形で今でも活躍しています。


数多くの思い出とともに、、、、、、、、、





FR−50Bに使用されていた電源トランス。

今はコリンズ75S-1、ドレークR4C用の
外部電源(自作)として活躍中。

右の電源ユニットには電解コンデンサに
BlackGateを奮発しています。
(ご存知ですかねー?)



以前、当HPでご紹介した”目玉の親父ラジオ”
のPWダイヤル部分。

このPWダイヤルに直結されているのが
FR−50Bに使用しされていた
ダブルギア・タイプのギアダイヤル。




ギアダイヤル・ユニットとHRO PWダイヤル
用のオフセンターシャフトの取り付け。

このオフセンターシャフトとギアダイヤルの
組み合わせの結果、PWダイヤルが
とても滑らかに回ります。