JG1XLVの部屋
高校1年、開局前(1974年11月)

JA1-18256とJA1VX香取OM



1974年11月、高校一年の秋の文化祭で高校のクラブ局:JH1ZLKから、
公開運用を行った。使用リグは八重洲無線の名機FT-200.アンテナは確か
屋上に設置したダイポールでした。
私がCQを出しているとなんとJA1VX香取光世OMからコールをいただいたのである。

JA1VXと言えば泣く子も黙る超OM! 日本で最初にキュービカル・クワッドを製作、使用され
当時のWWコンテスト、ARRLコンテストで何度も優勝された大先輩です。

まさに無線駆け出しの私にいろいろとお話をいただいて、次の日に
シャックへお邪魔させていただくことになりました。
(ちなみに我が家と香取さんの家は自転車で15分くらいのところ)

旧中川を越えた江東区亀戸の香取神社(これは香取さんとは関係が無いそう)の裏に
CQアンテナを見つけ、緊張しながらの訪問でした。

DXやコンテストのお話など、いろいろと伺うことができて、とてもうれしかった。
そのシャックの机の上に会ったりグは、なんとコリンズのSラインだった。
生まれて初めて実際に見るコリンズ。アンテナといい、素晴らしいシャックやこだわりのリグ。
そして卓越したオペレート・テクニック。そのどれもが、駆け出しのSWLには
まるで別世界のようでもあり、また憧れの世界でもあった。






巨星墜つ!
JA1VX香取光世氏 2003年10月 サイレントキーに
ご冥福をお祈りいたします.

【関連記事】2004年CQハムラジオ2月号 120-121ページ
”J2OV・JA1VX香取光世OMを天上にお送りして”
J2IB・JA1AA庄野久男氏

2004.01.18記





当時のSWLカード。
JARLの準員になるとSWLナンバーが
もらえた。




JA1VX香取さんのQSL。
香取さんは戦前はJ2OVとしても
活躍されました。





うれしい衝撃と深い感動を受けた、この一日。
DXの面白さとともに、奥深さも感じながら自転車をこいで家路に着きました。

それにしても、500W出力のAM送信機、変調器、AM500ワットを出すリニアアンプの
はすごかった。真空管式のエレキーや日本初のPSNによるSSB送信機、
KW用のダミー電球、、、、、そのどれもが魅力的でもあり、刺激的でもありました。


実際にアイボールさせていただいた香取さんは、とても穏やかで、
新米SWLの私にもいろいろと親切に教えてくださいました。

しかし、1950年代の情報の限られた中で、身近に実例のないキュービカル・クワッド
を製作・調整し、実用に持ち込むまでのその苦労は想像に
難しくありません。技術的な課題の解決への熱意と努力もさることながら
DX,コンテストへの並々ならぬ情熱は、温厚な人柄や雰囲気からは
量りえないほどのものがあったのだと後から分かったのです。
また、DXに対する氏の冷静かつ強い思い入れは
当時駆け出しハムの私に、少なからず影響を与えました。



 JA1-18256入手したQSLカードたち 

札幌の故:浜OM

14メガSSB、UK4CKCとのQSOへの
SWLレポートに対するQSL。
日本で2番目に5Band DXCCを取得された
横山OMからのQSL。



俳優の故E.H エリックさんからの
QSLカード。

1973年9月にエリックさんとW局の21メガ
のQSOへのSWLレポートを出しました。


この頃は俳優・タレント・芸能関連でも
ハムはいましたね。

大村 昆夫妻、タモリ、JH1BAN故藤村有弘、
三橋達也、木元教子、大橋照子アナウンサー、
などそれぞれ活躍されてました。
今で言えば、えなりかずきでしょうか?