W7BX(7J1ABV)サンディが2月7日に亡くなってしまいました。
とても紳士で、DX好きで、明るく、誰にもやさしく接してくれていたサンディとはもうQSO出来ません。
そこでサンディをいつまでもわたしたちのこころの友として忘れ得ぬよう、サンディの思い出のページを作りました。
サンディの写真やエピソードなどをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ここで紹介させていただきいたいのでご協力ください。
サンディのご冥福をお祈りいたします。
2003/02/16 JG1XLV記
突然の悲しい知らせ 2月4日火曜日の朝、サンディの手首に激痛が走りました。それも大変な苦痛だったようです。 息子のジェフリー君を学校へ送ったあと、サンディとアキコさんは病院に直行しました。 その時、サンディは苦痛の中に居て、呼吸困難な状態に陥っていたようです。 医者の判断で、サンディはすぐに集中治療室へと運ばれました。 サンディーは、腐敗性の敗血症に侵されていたのです。 この悪性の伝染病がサンディの身体を蝕んでいたのです。 この深刻な状態に対し、医者や病院のスタッフたちは外科を含む、出来る限りの対応をしてくれたようです。 しかしその甲斐なく、サンディは2月7日、金曜日の朝、サイレント・キーとなりました。 W7NX Rob Hinzからのメールより翻訳・編集させていただきました。 by JG1XLV ----------------------------------- |
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あしり日のW7BX Sandy 1990年代の初めには東京にも住んでいたため 日本のハムとの親交も多くありました。 明るく、紳士でかつDX大好きなサンディでした。 |
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その後、オレゴン州ポートランドにQSYし、 ご覧のようなFBなお宅と無線アンテナで DXをアクティブに楽しんでおりました。 特に21メガなどでも強力な電波でW7BXの信号が 聞こえていました。 QSOされた方もきっと多いことと思います。 |
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サンディが東京に住んでいた頃(1990年はじめ)は、 彼をはじめF2CW(ジャッキー・ガルボーはもう少し前:現ZL3CW)や この写真にもある7J1メンバーも比較的多く、DXを話題に写真のようなミーティングも 何度もありました。 その度にサンディと私は7メガのCWの話やアンテナの話題で とても楽しいひと時を過ごしました。 |
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写真は420グループ(21.420でのラグチューのお仲間) のミーティングでの様子です。 1990年か91年のことです。 写真中央がサンディー。 この場所は六本木のFORTE(フォルテ) |
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同じく六本木。 写真右は7J1AIJ,Thomas。ドイツ大使館員で よく緑色のモービルで秋葉原を走ってましたネェー。 現在は JT1FDEでモンゴルからQRVしているそうです。 サンディーの左隣はケリー (7J1AIK,now NH2A/W3 in Washington, D.C.) |
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W7BX Sandyの訃報に関する情報提供・連絡を いただいた方 |
Thanks to : ・JR1NNV/安藤様(TIARAメンバー) ・7J1AAB/ビル・ステンソン(TIARAメンバー) ・AH0A/Joe Speroni (元TIARA会長) ・JF1BNR/岸本様 ・W7AY/Chen ・Joe Fitter DU1/K7JOE ex: 7J1AOF, BV/N0IAT, YU3/KA0ZDH etc ・Rob Hinz - W7NX ・W7BX Memorial Web site LINK |